目が覚めたのは早朝3時半。
早朝というのか深夜というのか。
それもそのはず、体調を崩して昨日は丸1日宿で寝込んでいたので、昼寝たっぷり。
そりゃあこんな変な時間に目も覚めます。
昨日よりはかなり体調も良くなり、腹痛もおさまりました。
寝たり起きたりを繰り返し、朝6時にシャワー。
ここは赤道直下とは言え標高2500mの街・アディスアベバ。
夜は毛布がかかせないほど冷え込みます。
それなのに……
お湯が出ないシャワー。
この寒い中で冷水シャワーは本当の地獄。
いまいるエチオピアの首都・アディスアベバは、地図でいうとここらへん。
そんなこんなで冷たいシャワーを浴びてうだうだしていると朝9時。
宿のオーナーが朝食を作ってくれました。
スクランブルエッグとトースト、それに紅茶。
このオーナーの作るスクランブルエッグ美味すぎ。笑
昨日は1日寝込んでいたので、今日こそは外へ。
アディスアベバ観光をします。
とは意気込んでいたものの、
あいにくの雨。
宿の前の道も巨大な水たまりができています。
何を隠そうこのアディスアベバという街。
そう、観光名所がないことでも有名。
ほんとにないんです。笑
そのなかでも選りすぐりの観光地をかいつまんで見てきました。
大通りへ出てタクシーを拾い、聖ギオルギス教会へ。
ここ聖ギオルギス教会はエチオピア正教の教会。
1896年、対イタリア戦での戦勝を祝って建てられたそう。
これまで、イスラエルのエルサレムやベツレヘム、その他もろもろ……
キリスト教やイスラム教、ユダヤ教、ロシア正教などのあらゆる聖地や教会を巡ってきましたが、
エチオピア正教は初めて。
エチオピア正教はキリスト教の一派で、ここエチオピアは東アフリカで唯一のキリスト教国家。
エチオピア正教には、ユダヤ教色の強い断食(ツォム)の習慣があり、
熱心な信者はその時期15:00まで何も食べないそう。
そして驚くべきがその日数。
なんと、エチオピア正教では365日のうち約250日が断食の期間に当たるそう。
き、キツすぎ!!!笑
立派な正門を抜けて、
構内はこんな雰囲気。
かつて皇帝の宮殿だった建物だそう。
エチオピアの皇帝とか少数民族の暮らしとか展示してありました。
まあ小さめの博物館って感じです。
大学を出て街中をブラブラ。
この渋滞を起こしてる青と白のツートンカラーのハイエース。
これがミニバスといって庶民の足になっています。
最後に訪れたのは、マルカート。
「東アフリカ最大の市場」であり、
あまりの広さに、一度迷うと出てくることができないとも言われています。
ものすごい熱気に溢れています。
マルカートに行く、というとエチオピア人かみんな、
「荷物に気をつけろ」「ポケットには何も入れるな」と忠告してきます。
アディスアベバの中ではあまり治安のよくないところ。
しばらくぶらぶら歩きまわって、宿の近くへ戻りました。
宿の近くにシャレオツなバーを発見。
久しぶりに鶏肉以外の肉が食いたい、とフィレステーキを頼んでみました。
お値段120ブル。(約600円)
うん、めっちゃ硬かったです。笑
あ、今日のブログのテーマについて書き忘れてました。
街中やバーで「どこから来たの?」と声を掛けられ、「日本」と答えると、めっちゃ喜ばれます。
みんな口々に、
「日本とエチオピアは固い絆で結ばれてるんだぜ!」
「エチオピア人はみんな日本が大好きなんだ!」
と熱く語ってくれます。
たしかに、「地球の歩き方」にも、「エチオピアはかなりの親日国で、日本人を見かけたら演歌をかけて歓迎してくる店もあるほど。」と書いてます。
世界でもここまで親日な国はトルコぐらい。
トルコはエルトゥールル号事件のことや、その後色々あったので分かりますが、
街の人に聞いてみても、「TOYOTA!」としか言いません。笑
たしかに街中の車はほぼ全てトヨタ車の中古ですが、これは今まで旅してきた他のアフリカ諸国でも同じこと。
ネットで調べてみると以下のようなことが書いてありました。
以下、読売新聞の記事より引用。
親日国のエチオピア、「友好の証し」と義援金
読売新聞 2011年6月25日23時21分
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110625-OYT1T00873.htm
東アフリカのエチオピア政府は、東日本大震災の義援金として、
544万ブル(約2500万円)を在エチオピア日本大使館に寄付した。
同大使館などによると、
帝国主義の時代、欧州列強に抵抗したエチオピアは、
日露戦争でロシアに勝利した日本を近代国家建設の
模範とした親日国。
国民の1割が食料支援に頼る最貧国ながら、
「約80年の外交関係がある友好国のために」と、
震災後に日本支援委員会を発足させ、現地企業などに
寄付を呼びかけていた。
義援金を岸野博之大使に手渡したハイレマリアム副首相兼外相は、
「日本の長年の支援に感謝している。
友好の証しとして日本の皆様に義援金を渡したい」
と語った。(ヨハネスブルク 中西賢司)
なるほど。
知らんかった。
まさか義援金まで送ってくださっていたとは…
ではまたあした、おやすみなさい!
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